デブサミ2009一日目。温故知新

楽しみにしていたデブサミ2009に出撃。デベロッパーの祭典だったのだけど今日は意外にも技術の話ではないところでグッと来る示唆があったのでメモ。
今回色々なセッションで聞いたのは、パラダイム、という言葉。そしてそこから喚起されたのは温故知新。


午前最初のセッションで出て来たのはクラウド、というテーマ。最近ではバズワードと揶揄されることが多くなったこの言葉はSOAからのパラダイムシフトという概念が根底にある、一貫性よりも可用性。SOAでは到達できないスケールレベルを扱うためにはは従来のN-tierを捨てないといけないほど根本からの変革が必要という話で、、というこの説明だけではまぁ陳腐なバズに聞こえてしまう人がいるのは仕方なく私の表現力のなさのせいなのだけど、デブサミでのMSのアーキテクトの方のセッション内容はかなり多岐に掘り下げられており非常に興味深く気づけばノート4ページくらいのメモを取っていた。ここらへんは今日の主題にそれるのでまぁ今度。


次のMatz(まつもとゆきひろ)の大盛況な言語よもやま史なセッションでは、これ自体は割と一般的なテーマながらも話上手でまったく飽きない凄い、という全般的な印象。示唆的なフレーズがたびたびあったのは流石だなぁと感心していた中でひとつ上げたいのは、言語の進化というものはハードウェアの進化、ソフトウェアの進化と一方で変わらない人間の能力の限界から来る要請があるという論旨で、ここでもパラダイムという言葉がキーワードされていた。パラダイムの変換の中で必要とされるのは温故知新的な技術。具体例ではGCガーベジコレクション)なんて概念はいつからあった?というもので、でも使われるようになったのは90年代のjava(Ruby)からでしょ。と。
これが温故知新の例。


さてここからが今日何と言ってもな話、で、午後一のセッションだった睡眠覚悟で向かったのを非常にいい意味で裏切ってくれた、「テクノロジーは世界をインターフェースする」というセッション。発表されたのは10年以上前からメディアアーティストを発表されているデザインな方で、多摩美でも教壇に立たれている方らしい。今ここはデブサミなのになんだか懐かしい大学の講義を聞いている感覚になれたのは同級生と一緒に話を聞いていたから、という訳ではなさそう。
セッションでは、その方なりのメディアとはどういうものか、デザインとはどういうものか、について明確な考えを示していく。メディアとは何のためにあるのか?それは人がそれまで見ることができなかったものを先人の知恵によりデザインされ可視化することができるようになった手段、と話されていたと私は理解。インターネットというメディアは、一般人がこれまでリーチできなかった一時情報に暴力的にリーチすることができる、という特性、また分散的、WWW、という特性がありそこで表現者は何を新たにデザインして(恩返し的な)ポジティブな創造を行ってゆけばいいのか、というある意味基本的なことなのだけどビジネスの世界に浸かっているとと忘れがちになってしまうことに対しての気づきを改めて与えてくれたことに感謝していて、これは本気で取り組んで行きたいのだよなぁと思っている次第。


少し考えたのは、今いま個人的興味のつきないアイデンティティ、デジタルなそれに対して我々が、子供達が、親達が、ポストインターネットなこの世の中でどうつきあって行けばいいのか。Web上に置かれているmixitwitterの私と私の関係の集合であるアイデンティティは現在のところ最適にデザインされているとは私自身は思っていなく、どんな姿がよりよい未来なのか。という興味がつきない。できることならそのことに対して先人の創造の恩返しができるような、デザインができないものかな、ということを憚りながらも夢想してしまう。で、そのデザインというのは過去からの決別的な何かではなくて(人間社会をデザインする、というなのだから)温故知新的なものが出てくるのかなという気がしている。こういうのは考えて、作って、利用してみて、のサイクルをまわさねば、なんだ。


実際に今流行ってるのは昔流行らなかったあれ、というのが年とってきたからというのもあり色々と遭遇してくるようになった訳だけども、アイデンティティ自体は今の時代の要請というものに乗るかどうか、マッチするものは何かということを整理することはできないのだけど、見直すべきものはいくらでもあるな、と10年前のメディアアートに触れて思った一日目でした。