大人の「階段」のはなし

はじめに。
未だにプロフ系のサイトが流行っているかどうか知らないのですけど、まぁ流行っているとしておいてください。高校生とか、みんなプロフ持っていたとしてください。まぁプロフでなくても何でもいいですが、何らか最近の子は(ケータイでの)Webサービスでつながってると思ってこの話を始めます。



焼きそばとおにぎり食べながら(炭水化物どうし、大好き!!)mixiのOver15化の件をちょっと考えていたのですが、僕らの世代が子供だった頃はソーシャルネットワークとかプロフとか、ぱどタウンのようなものは何もなくて、PHSとかmovaとかにローカルの連絡帳があっただけでした。
自分は大学生活の最後のころにSNSが、てかmixiというサービスが始まってこりゃ面白いなってことでリアルなつながりをWeb上に作り始めたんだったのでした。
もともと関係があって、新しくできたWeb上のサービスでそれを再構築したのでしたよね。


それが今時の高校生とかは最初に書いた通りに、もう既にそういうのをバリバリ作っていてやっているんだと思います。Web上に作り上げられたソーシャルなリレーションシップ。僕らは主にmixiなどでそれを始めたのですけど、彼らはプロフやモバゲとかでそういったWeb上のデータとしての関係、をはじめに作りあげてしまっている。mixi以外の何か別のサービスで、です。(なんたって、mixiは今時点ではまだ18歳以上のサービスですからね、ないはずですよね?)


そんな彼らが大人になってゆき、流石に「プロフ」みたいなお子様向けサービスではなくてもうちょっと大人な集まり場をWeb上に求めたりすると思います。その行き先がmixiになるのかはさておきですが、どこか別の居心地の良い場所です。


例えば高校生のころは学校帰りにガスト・ジョイフルの類でドリンクバー頼んでだべっていてそれが楽しかった彼らだったけど、二十歳過ぎたので居酒屋で飲もうよみたいな感じになる。そんなありふれた話の、Web版です。
そこでいかにスムーズにその関係性をもっていくか、については最近色々と考えられてきている訳ですね。
OpenSocailや(x)Connectなどに代表されるものですが、個別のアーキテクチャ(これは大人の「階段」の種類、にあたるでしょうか)話はここでは置いておきます。


こういうシチュエーション(何処で遊ぶか?問題と呼んでおきます)。
実生活の場合は個々の携帯端末にローカルの連絡帳があるので簡単にファミレスから居酒屋へ場所の移行ができます。それは僕らの世代以降の人から今の子供達まで何も変わってないですし、僕らより上の世代でも実家の固定番号の連絡網とかがあったと思うので本質的には変わっていないはずです。


ですがこれがWeb上になると僕らはイチから関係性を作り上げるのが当たり前で、むしろ定期的に関係の再構築を行うタイミングとなり諸々の整理を行うことができて都合がいい、くらいに思っています。例えば、最初はmixi楽しかったのだけど最近は交流ない人も多いし、でもそんだけの理由で切るってのも「ない」感じだし色々面倒くさいねー(僕の例ではないですよ)。とか思ってmixi疲れが起きてログインしなくなって別サービスへ移住して、というようなこれもありふれた話のことです。
あなたが次に移住したサービスは、これまでのmixiとはデータのポータビリティがないために必然的にイチから関係性の作り直しになる訳ですが、それはあなたが望んで「リセット」したのですからこの場合は望むところです。


でもWeb上の移住においてですが望んで「リセット」したくない場合もあるわけで。上の居酒屋集合のケースや「○○ちゃん、学校卒業して離ればなれになっちゃうけど、私たちずっと友達でいようね!」のケースにあたる場合ですが、
mixiがOver15対応で僕がイメージしたのはこれから大人になる子供達、が別のサービスでWebデータのリレーションシップを先行して作ってしまっていることに気づいたということなのかな、ということです。


そこで彼等が打ち出した対策は二つあって、まずOver15対応は、階段を上らせない、というやり方ですね。階段ではなく、中高一貫の私立校のような「エスカレータ」を用意した訳です。
一方いまの高校生年代、プロフ、モバゲ、グリーに「喰われて」しまった世代については、作られてしまったものは仕方ないため諸々のOpen化を推進してデータのポータビリティができるようにしようと。


因みにポータビリティが実現すると(携帯電話のMNPをイメージすればわかる通り)諸刃の件で1位のドコモがカモにされているようにmixiだって、他所のサービスに持ってかれてしまうような要素ができるということなんですけど、別の視点ではこれもMNPが教えてくれているように仕様的にデータポータビリティが実現したとしても移行する人たちってそんなに多くない。ということをmixiの人は感じているのかもしれません。


今回思ったのは「Web上になると僕らはイチから関係性を作り上げるのが当たり前」という感覚そのものが「階段」が変化することによってどうなるのか。ということでした。


いつか、ペンペン草が生えて閑古鳥が鳴いてタンブルウィードが風に飛ばされてるようなくらいに人気がない状態になるくらいmixiなんかより超絶凄いサービスが出来てしまってポータブルがゆえに民族大移動がおきたりしないとも限らない訳ですが、そこまでは現実味がない話ですね現状だと。仕様の擦り合わせが出来たとして、普通の人にそれが簡単にできるのか、という問題がこの場合は大きいですし。


web上に私がいて、彼らがいる。ただそれだけのことで何をムキになっているんでしょ。僕らは。なんて思ったりもしますが、、まぁリアルな世界とWebの世界でこういったソーシャルなサービスを行おうとした場合に前提となっている「仕組み」が違うので、みんな色々考えているのだな、と。


最後に蛇足ですが、困ったことにリアルの私が死んでしまっても、弔われずに生き続けてしまいますね。。これも「仕組み」が違うところです。


この本人亡きデータをサービス側はどう扱うのが適当なんでしょうかね。無くなった人のページはその人のものであると同時に、生前につながっていた人のものでもあるので何も考えず削除、は適当ではない気がしますが(web法事みたいなイメージで命日にはその方のページにアクセスするでしょうし)。さて。。